おばあちゃんと同居
「おばあちゃんになるのもいいな」という歌があります。「日曜日にお手々つないで孫達がやってくるのでいいな」と続きます。しかし同居となると少々事情が違います。日本では、おばあちゃんといってもまだまだ若々しくて、「年寄りは二度目の子ども」などということわざはほとんど通じなくなりました。それでも「年寄りっ子は三文安い」ということわざはまだいくらか生きています。日なたぼっこを孫と一緒にするという姿よりも、未熟な母親をおしのけて手を出し口を出す過保護おばあちゃんに時々出会います。逆に核家族化しているため、母親が育児ノイローゼになっているのを見るにつけて、おばあちゃんと同居とは何て恵まれていることかとも思います。孫をテレビの画面のみに釘づけにしないで、目と目を合わせながらおばあちゃんが絵本やお伽話を孫に聞かせることで、子どもは将来自然にお年寄りを大切にする気持ちが身につきます。
さて、おばあちゃんと同居で何よりも大切なことは嫁姑の仲がうまくゆくことです。乳児であっても、まして幼児ともなれば、母親とおばあちゃんとのアウンの気合いは肌を通じて感じとります。そこでお父さんが嫁と姑の潤滑油となり後だてとなって一家をまとめる役目を果たすことです。お母さんも楽しみながら育児ができ、おばあちゃんも生き甲斐を孫から貰い、若い両親からも感謝される。子どもというのは、手をかければかける程よい子に育つとは限りません。過保護おばあちゃんは困ります。嫁と姑とお父さんの三人がよく話し合って、お互いの生活のペースをできるだけ乱されないようにうまくやってゆきましょう。
サンデーおばあちゃんと違って同居となれば、日によっていろいろのことがおこります。三文安い孫を作らない努力をすることで「おばあちゃんになるのもいいな」「おばあちゃんがいてくれていいな」という家庭を作ることができるのではないでしょうか。
(中野博光)